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ジュリー ( カイン JP3 )

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バベル

映画バベル、見てきました。

映画を見終わった帰り際に、見終わった人の中から
難しい映画だったとの呟きを聞きました。

しかし、まあ、事件は、いたってシンプルです。
モロッコの山奥で、アメリカ人がライフルで撃たれた。
ニュース報道であれば、多分それだけです。

以下ネタばれ含みますので、見てない方は見ないことをお勧めします。

では、なぜ難しいと感じたのか?

それは、この映画に様々な要素が絡み合っているから。
貧富の差、銃、そして、題名の由来となっている神話にもある
人々のコミュニケーションのギャップ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/バベルの塔



バベルの塔の記事は『旧約聖書』の『創世記』11章にあらわれる。位置的にはノアの物語のあとでアブラハムの物語の前に置かれている。そこで語られるのは以下のような物語である。

もともと人々は同じ1つの言葉を話していた。シンアルの野に集まった人々は、れんがとアスファルトを用いて天まで届く塔をつくってシェム(ヘブライ語、慣習で名と訳されている)を高くあげ、全地のおもてに散るのを免れようと考えた(偽典の『ヨベル書』によれば神はノアの息子たちに世界の各地を与え、そこに住むよう命じていた)。神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、人々に違う言葉を話させるようにした。このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった



以上、wikipediaから引っ張ってきたバベルの塔の神話でした。
リネージュ2にも、似たような塔がありますけどねw


一つの事件が、連鎖的に色々なことに影響を与えるということも
この映画のキーワードだと思いますが、この映画のキーワードを
一つ上げるとするなら「コミュニケーション」なのかなと。

ブラット=ピット夫妻のコミュニケーションの断絶。
恐らく、乳幼児によくある窒息死によって3番目の彼らの子供が
死んでしまった。その死を境に夫婦にコミュニケーションの
ギャップが生まれた。それを癒し夫婦の関係を改善するための
モロッコへの旅行だったのでしょう。でも、道中もギクシャクしてますw
その途上、モロッコの少年たちの軽いお遊びのつもりで観光バスに
ライフルで撃ったらたまたまブラピ妻に命中し、瀕死の重傷を負う妻(・・;)
(まあ、彼らは、結果的に銃撃されたことで、絆は回復したようですがw)

その銃撃に使用された銃は、日本人の男性がモロッコへ行った際に友情の証として
現地に置いてきた物だったことから、舞台は日本へ。

役所こうじときくち凛子(漢字がわかりませんw)の親子のストーリー。
きくち凛子は、聾唖者の役。
(劇中にも出てくるのですが、音が聞こえない世界って、
私たちと全然違う世界なんだなと感じましたね。)
音が聞こえないというコミュニケーションのギャップ。
きくち凛子は、周囲とのコミュニケーションが上手く取れない。
(日本の障がい者は、健常者と隔離されて養護学校などで教育を受ける
というのも問題の背景にあるように感じましたが。)
そして、高給マンションに住み何不自由ないように暮らしていただろう
家族に起きた突然の母親の自殺。父と娘のお互いがきっとどっちかが
原因で母親は死んだのではないかと思って、父と娘の間に
コミュニケーションのギャップが生まれる。
(まあ、母親は多分二人とは関係ない理由で自殺したような気がしますがw)

ブラピは、妻の緊急事態にスペイン語圏のモロッコで英語で話すが、自分の言葉が周囲に
理解されないことに苛立ち、
きくち凛子は、耳が聞こえず、うまくしゃべれず、うまく他人と
コミュニケーションを取れないことに苛立つ。
(だからって、素っ裸で異性に近づくのはどうかと思いますがねw)

同じ言語を話していてもコミュニケーションはうまくとれない。
ましてや、違う言語、障がいがあっては尚更コミュニケーションは
うまくとれない。

我々人間は、そんな現状に絶望しなければいけないのか?
他人と、分かり合えることはないのか?

劇中では、ブラピ夫妻も役所&凛子の父娘も最終的には
お互いに抱き合って、コミュニケーションを回復してました。
ただ、それは、ある意味、映画的なハッピーエンドかなと。

むしろ答えは、ブラピ夫妻の子供とその乳母なのかなと思いました。
この子供たちと乳母とのエピソードがあるんですが、
乳母はメキシコからの不法就労者で、ブラピ夫妻の子供の面倒を
長年みている。劇中で子供たちが寝るときに、乳母はスペイン語で
子供たちに語りかけていました。それに英語で普通に答える子供たち。
でも、コミュニケーションが成立してるんですね。ここw

言葉も国籍も血のつながりもないのに、ここはコミュニケーションが
成立してる。ブラピ夫妻は、言葉も国籍も同じで夫婦なのに
コミュニケーションが上手く取れない。役所&凛子は、娘は聾唖者ですが
手話という言葉と血の繋がりがあるのにすれ違っていく。

その間の決定的違いは何かって考えたら、
「相手のことを思いやる優しさ」があるかどうか。
言葉によるコミュニケーションは不完全だが、「相手を思いやる優しさ」、
臭く言うなら、「愛」があれば、それを補うことが出来ると。

しかし、最終的には、ブラピの子供たちと乳母の方は、乳母の不法就労がばれて、
乳母はメキシコに強制送還されて離れ離れになって終わるという
何というか皮肉な終わり方?w
乳母は、子供たちへの愛を国境警備隊員に泣きながら話してましたが、
国境警備隊員にとってはただの仕事ですから、不法労働者を
強制送還するという事務的処理をしただけ。
相手への思いやりなんてものは微塵もそこにはない。(カワイソウニ)


久々に色々と考えさせられる映画でした。
100人見れば、100通りの感想が生まれる映画なのではないでしょうか。
これは私の感想ですから、映画を見た人はまた違った感想を持つことと
思います。

最初に戻りますが、難しいといわずにこの映画を見て、
何かを感じたのなら、それがあなたにとっての答えなのでは?
感想に正解なんてないのですから。







3ヶ月前、今考えれば何でもない理由でリネージュ2を辞めて、
最近復帰した私にとっては、また別の意味をもったというか…

きっかけは、私自身の選択でしたが、あの選択があの時は、
他人にどういう影響を与えるかなんてまで考えて行動してなくて、
まあ、あの時少しでも「相手のことを思いやる」ことが出来れば、
また違った結果になっていたのかなと。

思いやりをもてとか、相手のことを考えろとは、小さい頃からよく
言われたことで、頭では分かっているつもりでも、なかなかうまく
その場で伝えられなかったり、出来なかったりするものだなと
思うのでした…。(゜ー゜;Aアセアセ

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